当時は70年安保の時代で、もちろんユネスコサークルも社会の問題には敏感でした。というのは、サークルが活動していた地域は、戦後大陸からの引揚者が住み着き、その後も、日雇い労働者など貧しい人たちが暮らしていた地域だったからです。不平等な現実を目の当たりにして、社会を変革しなければと私達は思ったものでした。決断の早い私は、1年生のうちに民主青年同盟に加入し、また、社会を良くしたい、貧困をなくしたいと思い日本共産党にも入党しました。
大学時代が半分過ぎた時、あまりにもサークルと学生運動に時間を割きすぎたために、専門の勉強がおろそかになり、いっそう教育学部へ変わろうかと思いましたが、そのまま東洋史学科ヘ進みました。東洋史学科に在籍しながら、卒業後は教員になろうと、中学校と高等学校の社会科教員の免許を取得しました。
愛知県で中学校教員試験がありましたが、「小学校へ行く気はありませんか。」と言われて、「はい。」と即座に返事をしたので、採用試験に合格しました。愛知県は人口が急増していて、小学校の教員が不足していた頃です。