1973年に兄が過労から急逝したため、私は後継ぎ次男(次男長男)として、岐阜に就職することにしました。
岐阜市に住民の出資でつくられた、華陽民主診療所が唯一の岐阜の民医連として差別のない地域医療をすすめていました。1977年4月、岐阜健友会華陽民主診療所に入職、みどり診療所(現みどり病院)建設運動に取り組みました。
以来20年間、医療の現場でケースワーカー・医療事務として、総務組織事務職として、住民の命と健康を守るために共に歩んできました。97年から98年にかけて、商工業者の民主商工会で"実践経済学"を習得。
1990年頃から、命と暮らしをまもる社会保障運動を担当し、乳幼児医療費助成拡大の運動交渉、国保問題を考える会、国保料(税)減免と医療保険資格証問題に係わりました。
1999年7月、可児市議会議員に初当選。
医療・福祉・商工問題のわかる議員として、皆さんの願いを市政に届けてがんばっています。3年間の生活暮らし相談事例は200件を超えています。