1965年(昭和40年)蘇南中学校に入学、71年岐阜県立多治見北高校を卒業するまで、土田地区にある自宅から通いました。
この年、ベトナム反戦運動とともに、沖縄県民の祖国復帰運動が高まりました。私は大学受験一浪の身でしたが、「沖縄を考える会」の事務局を担う中で日本共産党と出会い、1971年9月に入党しました。
1972年春、日本福祉大学社会福祉学部に入学。
沖縄県民は72年5月に、米軍の直接統治から離脱して祖国復帰をはたしましたが、米軍基地問題はのこされました。こうして始まった大学生活では、社会保障と人権をテーマに人生観をつくりあげていきました。
学生時代はもっぱら、学生運動(愛知県学生自治会連合書記局)にかかわり、学費値上げ反対・大学の自治擁護のたたかいに参加しました。勉学では、2年まで歴史ゼミ、3・4年では地方自治ゼミを専攻しました。しかし、卒業論文を大学時代は卒業までに5年を要しましたが、その分"人間をみつめる"ことができました。貴重な青春を過ごさせていただきました。