被災地支援・連帯ツアーに参加して2013年6月
2013年6月7〜9日、新日本婦人の会主催 連帯ツアー
日本共産党可児市議のとみだ牧子市議は、6月7日から9日まで、新日本婦人の会主催の被災地支援・連帯ツアーに参加して、福島原発の放射能被害に苦しむ福島県を訪問ました。以下はその報告です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が訪問したのは、福島市、伊達市、相馬市、南相馬市、飯舘村、浪江町の6市町村ですが、地震、津波、原発事故のいくつもが重なって、2年以上たった現在も原発事故の収束とは程遠く、復興までには膨大な時間が必要だと感じました。 特に、原発から20q圏内の浪江町の請戸(うけど)地区は、津波で流された車や船やがれきを片付けることもできないままの状態で、まるで2011年3月11日以来、時間が止まってしまったかのようでした。 また、南相馬市の小高(おだか)地区や原町地区は、昨年4月から日中のみ地区に立ち入りができるようになりましたが、ライフラインは復旧しておらず、除染したものの仮置き場さえ決まらないので、ごみの収集もされていません。住民が戻りたくても、そこで生活することが困難です。この地域のみなさんは、他地区の仮設住宅に暮らし、子ども達も他地区の仮設校舎にスクールバスで通っている状況です。
面積の80%が山林という飯館村は、原発から40q離れているにもかかわらず、放射線量が高く、村の大部分が居住制限区域です。今年秋までには除染作業が終了する予定でしたが、除染をしても放射線量が元の高い数値に戻る場所もあり、除染が進んでいません。「早く除染してほしいが、がれき処理も除染もすべてゼネコンに頼っているので、国の言いなりになるほかない」と住民の方が嘆いておられました。1700世帯だった村は、仕事や学校の関係で家族がバラバラになって、今は、3000以上の世帯数になっています。家族一緒に暮らせないのが一番つらいと言われました。
福島市の渡利地区は、地震の被害はほとんどなかったのですが、放射線量が高く、私たちが訪れた時も空間線量計は0.3mμシーベルトを示していました。学校などの除染は進んでいるものの、子ども達の遊び場や山や川などは除染ができていないので、思いっきり体を動かして遊ぶことができない状態です。 一日も早く、全地域で除染が進むことが一番の願いであると、訪問した学童保育キリン教室の指導員さんがおっしゃっていました。
今回の被災地支援ツアーでは、大変な状況の中でも福島に踏みとどまって頑張っている方々から、お話を聞くことができました。そして、風評被害で宿泊客が激減したホテルに泊まり、先月再開したばかりの食堂からのお弁当を食べ、被災農家を支えようと立ち上げた農産物直売所(放射性物質の計測済み)でお買い物をしながら、被災地の今を肌で感じることができました。
「私たちのことを忘れないで下さい」という被災地からのメッセージを心に留め、今後も被災地支援をしていこうと改めて決意した旅でした。(とみだ牧子記)
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